女性蔑視の問題点とは?ミソジニーやハンドボール世界大会のセクハラについて

近頃、世間を賑わせている「女性蔑視問題」について語る。

ちなみに、僕は決して女性を蔑視しているわけではない。が、率直な意見が言いたくてこうして記事にしている。不快感を示された場合はコメント欄へどうぞ。

女性蔑視とは

英語で言うと「ミソジニー」。女性らしさに対する嫌悪感や、蔑視のことを指す。そういった女性に対する嫌悪感や蔑視している人間のことを、総称して「ミソジニスト」とも言う。

■蔑視とは
見さげること。さげすむこと。ばかにすること。

■嫌悪とは
憎みきらうこと。不愉快に思うこと。

女性蔑視イメージ
女性蔑視イメージ

同じ人間同士なのに、どうしてこんな言葉を他人へ投げかけることが出来るのだろうか。本当に不思議でならない。そういう人間は、自分を中心に地球が回転していると思っているようにしか感じられない。サイコパスである。

それでは、女性蔑視(ミソジニー)に該当するのは、どんな発言だろうか?少し考えてみよう。

  • 女なんだから、これは出来ないと・・・
  • 女だからって産休を取れば済むと思ってない?
  • 女なんだし、そういった言動はいかがかと・・・

はい、これは全て女性蔑視(ミソジニー)である。発言の端々に「女性を蔑視する意図」が含まれているということに気付いてほしい。

例えば、女だから出来ないといけないこととは何だろうか。家事?炊事?洗濯?それとも、その他のことなんだろうか。はてはて。

僕は家事、炊事、洗濯のすべてが出来る。だから女性にやってもらわなくたって問題ない。もちろん、女性に限らず、家事代行サービスなんてもので、他人を頼る必要がなければ、親に助けを乞う必要もない。自律しているので、誰かに頼る必要がないというわけだ。というわけなので、僕は妻に「家事は出来るときに、出来るほうがやろう」と伝えている。

女性が家事だとかそういう家庭科的なことが出来ないといけない、というのは、母親に甘えてきた男の勝手な妄想であり、妄言である。こんなことを言うと、当ブログの男性諸君は憤慨するかもしれないが、自律できていれば誰かにやってもらわないといけない、という考えにはならないのだ。

産休をとる女性イメージ
産休をとる女性イメージ

では、産休についてはどうだろうか。名だたる政治家たちの数名が、「女は子供を産むために存在する」「女は社会へ進出しても、すぐ子供を産んで仕事を辞める」などと発言したことで話題になったのは記憶に新しい。

確かに、子供を出産することが出来るのは、女性だけだ。これは事実であり、否定できない。男性でも出産したい人は居るだろうから、女性側に反論の余地はない。逆に、この事実を述べるだけで蔑視だとか、嫌悪だとか言われると話が先に進まない。

それから、女性が出産を経て会社を辞める確率が高いのも事実である。何故なら、育児で忙しくて、腰を据えて業務に専念できない場合があるからだ。もちろん、育児だけではなく、例えば嫁姑問題なども考えられる。

だがしかし、出産した女性が会社を辞めるというのは、あくまでも統計的な話であり、確定的な話ではない。出産したら絶対に辞めるのであれば問題かもしれないが、出産後すぐに復職を希望する女性だって居る。なのに、どうして「決めつけ」できるのかが不思議でたまらない。「辞めるかもしれない」のどこに問題点があるのだろうか?指摘するに値しない話だと思うが。

というわけで、色々とゴチャゴチャ説明したが、女性蔑視のような発言については、あくまでも統計的な話だったり、男性の妄想だったりするわけなので、不快でしようがない。という僕の考えについて述べた。

「女子ハンド世界大会PRのたれ幕」問題

「手クニシャン」「ハードプレイ」とのぼりに掲げた、熊本国際スポーツ大会推進事務局。しかもこれが女性が出場する大会に使用されたのだから驚く。

女子ハンドボール世界大会 セクハラPR
女子ハンドボール世界大会 セクハラPR

かなり下ネタになるが、「手クニシャン」は「手コキ」を連想させるし、あるいは「手マン」という言葉も連想できる。そこへハンドボール、おそらく男性の睾丸を連想させる意図がある、ときたら、そりゃセクハラに該当すると指摘を受けても仕方がない。こんなたれ幕の大会に、誰が出場したいと思うだろうか。しかも世界大会って・・・。ハンドボールへの冒とくである。日本の恥であると思え。

ハードプレイ・・・については、SMチックなことを連想させてしまう。が、僕は前述の「手クニシャン」のほうが、プレイの内容が容易に想像できてしまうので、嫌悪感を覚える。

ハンドボール選手がこの世界大会へ思いを募らせていると思うと、こんなおフザけは、オフザケでした!では済まないのではないかと思う。

この問題は、もちろん女性蔑視を含んでいるとは思うのだが、僕は「度が過ぎたオフザケ」とも解釈ができると考えている。繰り返すが、これは女性蔑視問題の1つである。セクハラと同じで、これを見た人が女性蔑視と感じれば、それは女性蔑視になる。

どうして女性蔑視が起きるのか

それは遠い昔から続いている問題―。

決して僕はふざけているわけではないのだが、本当に昔からそうだった。女性は男性よりも腕力や筋力で劣るから、男性が狩猟に出て、女性が家事をする。そうやってこれまでは寄り添ってきたハズ。

僕が幼少期の頃、両親もそうだった。オヤジが会社に行って仕事して、お金を稼いでくる。カーチャンが家の中のことをすべてやってくれる。家事で力仕事が必要になったら、オヤジが出張る。

そんなモンだったはず。

だが、今はそんな世の中じゃない。性別によらず、社会進出する。こんな経済状況じゃ、夫婦やってても共働きじゃないと食っていけない。だから女性が家事をこなす、という概念はもはや古い。いつまで過去の話を蒸し返すのか?

共働きイメージ
共働きイメージ

つまり、世の中的にはそんな古い考えが通用しなくなっている。にもかかわらず、政治家のオッサンや、企業のオッサンどもは「女はこうあるべき!」なんてことを、いつまでも言っているから、こういった女性蔑視がなくならないわけで。

世のガンコオヤジどもは、そろそろ考え方を改めるべき。

女性蔑視、女性差別・・・と糾弾する必要性とは

はい。僕はここに疑問を感じます。

いまの男尊女卑をなくすには、声を高らかにあげていく必要がある。それは間違いない。

だが、それは同時に声を上げている者の首を絞めているということを理解すべきである。僕はいまの「女性蔑視問題」が取り沙汰されている状況に嫌悪感を覚えている。

  • 本当に女性蔑視なのか?
  • 言っている本人は蔑視する意図を持っているのか?

いやいや、さっきセクハラの話のところで、言われた側の解釈だって言ったじゃないですか。ってツッコミを受けても仕方ないと思う。だが敢えて言いたい。女性蔑視をなくすには、本当に蔑視している人間を沙汰すしか方法がない

女性蔑視に対する主張のイメージ
女性蔑視に対する主張のイメージ

女性蔑視じゃ!差別じゃ!と、声を上げている自分たちは、蔑視することはないのか?嫌悪感だけで、相手を糾弾することはないのか?そこに正当性はあるのだろうか?仮に、自分たちが蔑視するような発言をしたときに、指摘を受けたらどう返すのか?徹底的に打ちのめされる未来が見えるとしか思えない。

小さな声だと誰にも聞いてもらえないかもしれないが、あまりにも大きな声を上げてしまうと、同時に自分の首を締めることになるということをよく考えてから発言してほしい。まるで自分たちは非がない人間だ!と言わんばかりの人を見ていると、特にそう感じてしまう

最近のこういった問題については、アプローチの方法に問題があるのかもしれない。SNSで拡散されやすいので、情報が出回るのも早い。だからこそ、感情論だけではなく、もっと方法論とか、どうすれば問題点がなくなるのかを考えてほしい。

じゃないと、何も言えなくなる。

まとめ

女性なんだから、とか、男性なんだから、とか、●●なんだから~という発言は蔑視に該当するので、そういった発言を慎むべき。特に古い考えのオッサンは自滅するってこを意識しておいたほうが良い。過去に自分が経験したことを、性別が同じとか状況が同じってだけで、統計的な話を人に当てはめて押し付けるんじゃないよ。オッサン含め、オバサンもね。まあ若い人間でもそういう考えを持つよね。考えを持つな・・・とは言わないけど、それを表に出すな

ハンドボールのセクハラ問題もやめてほしい。内輪でやる話なら笑い話だが、そんな内輪ネタを外に持ってくるんじゃないよ (-。-)y-゜゜゜